灯里の三日月
再生管理局の調整室は、いつも消毒液と、生まれたての皮膚の匂いがした。
椎名透子は端末の前で、その日に届いた不適合ログを順に片づけていた。常在再生——人体の細胞を絶えず若返らせ続ける技術が普及して、もう十二年になる。傷は三日で消える。病も、老いも、数日あれば無かったことになる。透子の仕事は、その再生がうまくいかない身体を調整することだった。世界から傷跡が消えて、人々はそれを当たり前だと思っている。膝の擦り傷も、手術の痕も、火傷のひきつれも、もう誰の肌にも残らない。傷跡がどんな手触りだったか、覚えている者さえ少なくなった。透子はときどき、自分の右手の甲を意味もなくさすった。子どものころからの癖だった。なぜそうするのかは、自分でもわからない。
「椎名さん。八十一番の方、また来てます」
同僚の声に、透子は顔を上げた。蕗田ハル。三か月前から、月に一度この部屋に通ってくる老女だ。
「左手の、ここの傷がね、どうしても消えないの」
蕗田は調整台に手を乗せ、左手の甲を見せた。小さな、三日月のような傷。常在再生を受けている身体に、傷が残ることはありえない。透子はこれまで何度も精密検査にかけた。細胞は健康そのもの。再生機能も、数値はすべて正常。なのに、その一点だけが、いつまでも塞がらなかった。
続きは会員限定
月額会員登録で全作品の全文とバックナンバーが読み放題。
登録済みの方は同じメールアドレスで全文を表示できます。
※ AI生成フィクションです。いつでもキャンセル可能。
他の作品も読む
SFその痛みは、私が捨てた
他人の痛みには、匂いがある。 佐久間澪はそう思っている。もちろん比喩だ。痛覚は嗅覚ではない。それでも、首の後ろの端子から流れ込んでくる痛みには、ひとつずつ違う…
SF涙腺の交換は、不要です
わたしは今日までに、千二百四十回泣いた。 悲しかったことは、一度もない。 わたしの型式名は鳴女(なきめ)シリーズ七号機。葬儀の場で、遺族に代わって泣く「代泣…
SF異常なし、と私は書いた
エレベーターは、四十二階の次に四十四階へ止まる。 アマツ第三塔で暮らす十二万人のうち、それを不思議に思う者はもういない。四が二つ並ぶ階は縁起が悪いから欠番にし…
