八十年、応答なし
「こちら灯(ともしび)、本日も異常なし」
ナギは毎朝、誰もいない海に向かってそう告げる。
返事は、八十年間一度もなかった。
静止(せいし)の日、世界中の電波がいっせいに途絶えた。送電網も、衛星も、人の声も。海沿いの第七沿岸中継所に取り残されたナギだけが、古い無線機の前に座り続けた。
理由は、もう思い出せない。ただ「記録を絶やしてはいけない」という感覚だけが、骨の奥に残っていた。
「気温、十二度。風、北から。波、穏やか」
毎日おなじ言葉を、おなじ順番で告げる。聞く者などいないと知りながら。
それでもナギは、放送の終わりをいつも同じ一言で結んだ。
「——どこかの誰かへ。今日も、世界はまだ在ります」
マイクを置く。窓の外では、灰色の波がゆっくりと崩れていた。
昨日と同じ、八十年前と同じ波だった。
ナギは気づいていなかった。八十年のあいだ、自分の髪が一度も伸びていないことに。
冬が来ても寒さを感じず、夏が過ぎても渇きを覚えない。その不思議を考えることだけが、いつも頭から滑り落ちていった。
その朝、無線機が鳴った。
最初は、ただの雑音だと思った。だが雑音は言葉の形をとり、聞き慣れない、やけに丁寧な発音でこう言った。
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